天才数学者ランキングトップ10 – 天才たちの逸話がすごい

2020年5月20日

この記事ではこんなことを書いています

私の独断と偏見で天才数学者ランキングをつけてみます。

本来、優劣をつけれるようなものではないかもしれませんが、お許しください。

天才数学者ランキング10位:ピタゴラス

どんな人?

ピタゴラスは古代ギリシャの数学者であり、現代数学の創始者と呼ばれています。紀元前570~495年(約2500年前)の今のギリシャに住んでいました。

若いときから世界中を旅して周り、約20年にわたって数学を学んだピタゴラスはその当時の全ての数学の知識を持っていたと言われています。

 

ピタゴラスと言えば、直角三角形の各辺の長さの関係を表した”ピタゴラスの定理”が有名ですね。三平方の定理とも言います。下のような式です。

$$a^2 + b^2 = c^2$$

ただし、その発見はピタゴラス自身ではなかったという説もあります。今から約2500年前のことですから色々と真実が分からないことも多いようです。

 

とはいえ、現代の測量技術において彼の数学に対する様々な発見は、大きな役割を果たしていますし、それまでの数学の理論を大きく進歩させたことは間違いありません。

彼は現代数学の生みの親と言ってよいでしょう。

 

参考までに、以下の記事では三平方の定理をパズルで証明できることを紹介しています。

逸話

彼は数学者だけではなく、ピタゴラス教団という教団の教祖でもありました。その中で弟子たちに数学を教え研究していたのです。

この教団は掟が非常に厳しく、内部の情報を外部に漏らすことは許されず、破ったものは海へ落として死刑にしていました。

 

また、ピタゴラスは数の調和や整合性を信じていたため、無理数(分数で表せない数)という数を認めませんでした。そのため、彼の弟子が無理数を発見したとき、数学者として無理数を認める代わりに、その発見者を死刑にしてしまいました。

なかなか過激な人だったようですね。

 

しかし皮肉にも、ピタゴラスの定理(三平方の定理)では、\(\sqrt{2}\)という無理数がよく登場しますし、彼の教団のマークである五芒星に使われている黄金比も無理数でした。

黄金比に関しては、以下の記事をご覧ください。もっとも美しい比と言われている比率です。

現代の世の中にもいたるところに存在していますよ。

 

 

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天才数学者ランキング9位:アンドリュー・ワイルズ

どんな人?

この記事で紹介する中で、唯一存命の数学者です。彼はイギリスの数学者でオクスフォード大学の教授です。

彼の最も優れた業績は、”フェルマーの最終定理”と呼ばれる問題を証明したことでしょう。フェルマーの最終定理とは、

フェルマーの最終定理

\(n\)が\(3\)以上の整数の場合、

$$a^n + b^n = c^n$$

を満たす\(a, b, c\)は存在しない

というものです。非常にシンプルですが、フェルマーという数学者が1600年代にこのことが成り立つことを見つけてから、360年以上の期間誰も証明することができませんでした。

その他にも、数学の定理の証明の分野で大きな功績を残しています。

逸話

彼のもっとも大きな業績は”フェルマーの最終定理の証明”です。彼が数学者を志したのは、子供のときこの定理に出合ったことがキッカケでした。

その後、大学院時代にこの問題に取り組むことを考えますが、当時の担当教授からやめるように助言されます。

それは、今まで数多くの天才数学者が取り組んできて失敗に終わったこの定理に時間を費やすことは、若いワイルズのためにならないという彼を思っての助言でした。当時からワイルズの才能を認めていた担当教授は別の分野で活躍できると信じていたのです。

そのときはフェルマーの最終定理に取り組むことを断念しますが、その後偶然にも他の問題からフェルマーの最終定理へ繋がり、7年後にフェルマーの最終定理が証明できることを確信します。

 

そして、仕事が終わると部屋にこもり、フェルマーの最終定理について考え続けます。その中で、こんな言葉を残しています。

成功に大切なことは、諦めずに考え続けることです。途中で何か問題にぶつかったとしても、「何か解決方法があるはずだ」と考え続けるのです。時には、誰も考えつかなかったことを閃くことも必要です。そのためには、諦めずに集中して問題と向き合うことです。

 

第8位:アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツ

どんな人?

第8位には、ニュートンとライプニッツの二人を同時に選びました。二人とも微分積分の分野で大きな貢献をしました。

ニュートンは万有引力の発見でも有名な物理学者ですね。りんごが木から落ちる様子をみてひらめいたあの人です。

どの分野でも天才的な才能を見せたニュートンですが、とくに彼が書いた数学書であるプリンシピアは、今日の物理学の原点とも言われています。

彼は、微積分の計算方法を確立し、その分野に大きな貢献をしました。

 

ライプニッツは、微積分の表記方法や記号の分野で貢献しています。

現代で使われている

$$\int f(x) dx, \quad \frac{dy}{dx}$$

などの微分と積分の記号は彼によって提案されたものです。

逸話

ニュートンは多くのことを発見しましたが、同時期に同じことを発見した他の科学者も多くいました。

そのため、それらの科学者たちとどちらが先に発見したかをめぐって論争が絶えなかったようです。

フックの法則で有名なロバート・フックと、彗星をめぐってジョン・フラムスティードと、そしてライプニッツと微分積分の先取権をめぐって長きにわたって論争を繰り返しました。

なかなか、過激な人だったようですね。

 

ライプニッツは三十年戦争の後遺症が残るドイツで生まれました。

14歳でライプツィヒ大学に入学し2年後に卒業しますが、当時のドイツの数学はイギリス・フランスに比べて遅れており、周りには彼の業績を理解できる人があまりいませんでした。

しかし、当時の王妃ゾフィーが彼を認めベルリンに科学アカデミーを創設します。ライプニッツはそこの初代総裁に就任します。

王妃ゾフィーが皇族を退いたあとは、あまり恵まれた人生ではなかったようです。

 

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第7位:レオナルド・フィボナッチ

どんな人?

レオナルド・フィボナッチは中世でもっとも偉大な数学者の一人でしょう。

彼は1170年、イタリアのピサに生まれ1250年に没するまで多くの数学分野で貢献を残していますが、最も有名な業績は”フィボナッチ数列”でしょう。

フィボナッチ数列に関しては、本サイトでもその面白い性質をいくつか紹介しています。

フィボナッチ数列はインドの数学者によってすでに発見されていたものでしたが、それを西洋の数学界に持ち込んだのは彼が始めてです。

また、上で紹介した記事で述べているように、フィボナッチ数列が自然界に頻繁に出現することを見つけ出したのは世界ではじめての発見でした。

逸話

彼の優れた業績はフィボナッチ数列の他に、アラビア数字をヨーロッパの数学に持ち込んだことです。

若いときにアラビア数字の体系を知ったフィボナッチは、それがローマ数字の体系よりもはるかに数学に向いていることに気づきました。

そして、彼はエジプト、シリア、ギリシャを旅し、アラブの数学者の元で32歳まで勉強します。

その後、ヨーロッパへ帰り「算盤の書」にまとめました。これは、現代の数学の基礎となっているものです。

 

第6位:アラン・チューリング

どんな人?

コンピュータ科学者であり暗号解読者であるアラン・チューリングは、多くの人達に20世紀最大の偉大な人物であると考えられています。

第二次世界大戦中にイギリス政府の暗号解読センターで働いていたチューリングは、ドイツの暗号機エニグマを解読するための重要な発見をします。

それが今では私たちの生活には欠かせないコンピュータの科学の始まりでした。最近注目されている人工知能の出発点も彼の発見にあると言われています。

暗号解読にコンピュータが使われるようになり、劇的に暗号解読のスピードが上がり、戦争を早く終結させることができました。

彼はコンピュータ科学と人工知能の父と呼ばれています。

逸話

第二次世界大戦中に使用されていたドイツの暗号機エニグマの解読は絶対不可能だとされていました。

イギリスは暗号解読のために様々な分野の天才を暗号解読センターへ集め、解読に挑戦していましたがなかなか成果がでませんでした。

そこへチューリングがやってきて、当時は誰も注目してなかったコンピュータを使った暗号の解読を提案し、人工知能を使って暗号を解読したのです。彼は天才中の天才でした。

戦争終結後、彼はコンピュータ科学の研究に取り組みますが、政府は彼を同姓愛者として告発します。当時のイギリスは同性愛は罪でした。

その後、同姓愛の治療薬を投与されながらも研究を続けますが、1954年に41歳のとき青酸カリ自殺します。本当に自殺だったのかは未だにわかっていません。

 

暗号に関しての記事はこちらです↓当時ドイツが使っていた暗号も現代の暗号も根本的な部分は同じです。

 

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第5位:ルネ・デカルト

どんな人?

フランスの哲学者であり、物理学者、数学者でもあったルネ・デカルトは、彼の哲学書の中で「我思う、ゆえに我あり」という命題を残したことで有名です。

哲学の分野で有名なデカルトですが、数学の分野でも大きな功績を残しています。

彼は1596年から1650年の人生を過ごしました。

ニュートンやライプニッツよりも少し前の時代に活躍し、現代の計算の基盤を作ることに貢献しています。

その中で一番有名なのは、みなさんも必ず使ったことがある”デカルト座標”でしょう。

これは、直交する横軸と縦軸を描き、その上にデータの点を乗せるという表現方法です。簡単に言うとグラフですね。

彼がグラフを発明する前、数学者たちは文字によって数式や図を説明していました。想像しただけで分かりにくいですよね。

また、累乗の表記を文字の右上に書き始めたのも彼のアイディアです。

$$\text{(例)}x^3$$

逸話

デカルトが10歳のときに、イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学します。

このフレーシュ学院は、フランス王アンリ4世が自らの邸宅を提供して作られた学校であり、フランスの優秀な教師と生徒が集められた場所でした。

デカルトはこの学院の中でも優秀であり、特に数学を好んで勉強しました。

哲学に対する討論では、数学的な手法を用いて相手を困らせるのが得意だったようです。

20代前半では、自分とは何か、自分がこれから何を成すべきかを問うため村の小部屋に約1ヶ月間閉じこもり、「驚くべき学問の基礎」を発見します。

同時に三つの神秘的な夢を見て、自分の進むべき道を決めま

第4位:ユークリッド

どんな人?

紀元前300年の時代を生きたユークリッドは幾何学の父と呼ばれています。今はエジプト北部に位置するアレクサンドリアで活躍しました。

彼が発見した数学の”集合の要素”という概念は数学史の中で最も偉大な発見の一つであり、現在の数学教育にまで受け継がれています。

残念なことに、彼の人生についてはほとんど知られておらず、彼の数学に対する業績が認められたのは亡くなった後、かなりの時間が経過してからでした。

おそらく、ここで紹介したすべての偉大な数学者は彼の影響を受けているでしょう。

逸話

すでに述べたように、ユークリッドの生涯についてはほとんど知られていません。

しかし、一つだけ有名な逸話があります。

 

エジプトのプトレマイオス1世が「幾何学を学ぶのに”原論”からよりも手っ取り早い方法はないか?」とユークリッドに尋ねたところ、彼は、

幾何学に王道なし

という名言を残しています。

 

第3位:ベルンハルト・リーマン

どんな人?

1826年に貧しい家庭に生まれたベルンハルト・リーマンは、19世紀でもっとも著名な数学者の一人となりました。ドイツ出身です。

特に、幾何学への貢献は大きく、彼の名を持つ定理が多くあります。以下に数例を挙げます。

  • リーマン幾何学
  • リーマン面
  • リーマン積分

 

しかし、彼が残した一番有名なものは、素数の分布に関する問題でしょう。それは、”リーマン予想”と呼ばれています。一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

この問題の証明は非常に難しく、現在でも未だ証明されていません。この問題の証明には賞金がかけられており、その額はなんと一億円です。

リーマン予想は素数に関することであり、素数は現在の暗号化の技術に役立っています。

もし、この問題が解かれたら、現在の暗号化システムが完全に崩壊してしまうかもしれません。これは、私たちが安心して電話やメールをできなくなることを意味します。

逸話

彼はあの有名な数学者ガウスのもとで数学を学びました。

ガウスが若い数学者をほとんど褒めることはありませんでしたが、リーマン幾何学に関しては高く賞賛しました。あのガウスから認められるほど天才的な数学者でした。

35歳のときに、結核の病状が悪化してイタリアで療養していましたが、39歳という若さでその生涯を終えました。

 

第2位:カール・フリードリヒ・ガウス

どんな人?

カール・フリードリヒ・ガウスは1777年~1855年にかけて活躍したドイツの数学者、天文学者、物理学者です。

ガウスは数学のプリンスと呼ばれるほどの天才で、彼がまだ十代のときに数学分野の重要な発見をしました。

そして、21歳のときすでに信じられないほど素晴らしい ”Disquisitiones Arithmeticae”という本を書き上げました。この数学の本は後の数論に多大な影響を及ぼすものです。

 

彼は小学校の数学の授業で「1~100までの数を足しなさい」という問題を、数秒で解き先生達を驚かせました。その解き方の発想は小学生にして数学の才能を十分に感じさせるものでした。

ガウスの才能をいち早く認めた地方の公爵は、彼をブラウンシュヴァイク工科大学という当時の世界で最も権威ある大学へ入学せます。

その大学を22歳で卒業したガウスが数学の数論(特に素数)の研究で多くの重要な功績を残します。また、物理の分野でも多くの功績を残しています。

亡くなる77歳まで数学を研究し続けたガウスの業績によって数学は大きく発展しました。そして、現代の数学もガウスの残した業績の上に成り立っています。

逸話

ガウスは歴史上の偉大な数学者の中でも、群を抜いて天才だったとされています。

彼は他の数学者と協力して研究することはほとんどなく、一人で黙々と研究を続けました。

その成果は数学分野を一人で数百年分進めたとも言われています。

あるときは、一人の数学者が何百ページにもわたって証明しようとした論文を、本の数ページで完結させてしまったりもしました。

とにかく何でも知っていて、他の数学者が発表する内容に対して、

「それはすでに私が前にやった」

とよく言っていたそうです。

ガウスに太刀打ちできるのは、次に紹介するオイラーぐらいだと言う人もいます。

 

第1位:レオンハルト・オイラー

どんな人?

一つ前で紹介したガウスが数学界のプリンス(王子)であれば、オイラーはキング(王様)でしょう。

彼の過ごした時代は1707~1783年と、ガウスの少し前の時代でした。

オイラーの残した数式でもっとも有名はものは”オイラーの等式”です。

それは、自然対数(\(e\))、虚数(\(i\))、円周率(\(\pi\))を関連付けた式、

$$e^{i\pi} = -1$$

です。

この等式は数学界でもっとも美しい数式であるとされています。

確かに美しいですね…数学で欠かすことのできない自然対数(\(e\))、虚数(\(i\))、円周率(\(\pi\))の三つがすべて一つの式で使われています。

その上、非常にシンプルな式です。美しいですね。

 

その他の数学分野でも多くの偉大な功績を残しています。彼はグラフ理論における重要な問題を証明しました。

さらに、微積分、トポロジー、数論、分析、グラフ理論などを発展させ、今後の数学がどこへ向かうべきかを指し示しました。それは、現代数学もまた着実に彼の指針に従って進んでいます。

彼が存在したこの時期に工業・産業など技術が急速に発展したのは、おそらく偶然ではありません。彼がそれほどまでに大きな影響を世界に与えたのです。

逸話

とにかく天才中の天才だったため、通常の数学者とは比較にならないくらいの研究を行いました。

数学界史上(現代も含めて)、最も多くの論文を書いた人物と言われています。

彼の論文は5万ページを超えるほどあり、1911年から現在までそれらをまとめる作業が続いていますが、2018年現在もまだまだ終わる気配すらありません。

 

まとめ

  • 独断と偏見の偉大な天才数学者ランキングは、
    • 第10位:ピタゴラス
    • 第9位:アンドリュー・ワイルズ
    • 第8位:アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツ
    • 第7位:レオナルド・フィボナッチ
    • 第6位:アラン・チューリング
    • 第5位:ルネ・デカルト
    • 第4位:ユークリッド
    • 第3位:ベルンハルト・リーマン
    • 第2位:カール・フリードリヒ・ガウス
    • 第1位:レオハルト・オイラー

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2020年5月20日数学の面白いネタ数字に関する面白いこと

Posted by yoshi