どうして0で割ってはいけないの? – 0で割れたらどうなってしまうのか?

この記事は、
- \(0\)で割ってはいけないことは知ってるけど、その理由は考えたことがない
- 数学的に、\(0\)で割ることをどのように扱っているのかが知りたい
- 無理やり\(0\)で割ってしまったらどうなるの?
のような人たちを対象に書きました。
ここでは\(0\)除算(ゼロじょざん)を解説します。\(0\)除算とは、\(0\)で割る計算のことを言います。
学校でも教わっていると思いますが、\(0\)で割ることは数学的に認められていません。
しかし、学校でその理由まで教えてもらった人は少ないのではないでしょうか?
そこで、いくつかの視点から、\(0\)で割るとはどういうことなのかを解説してみようと思います。
割り算を分配するための道具だと考える
現実世界で、割り算を使う場面というのはとても多いものです。
中でも、お金などをみんなに平等に分配するときは、割り算を活用することが多いのではないでしょうか。
「三人で買った宝くじが当たったよ!」
「111万円を分配するには、一人いくら受け取ればいいんだろう?」
という時、我々は、
$$\frac{111\text{万円}}{3\text{人}} = 37\text{万円/人}$$
と求めます。
つまり、このときの割り算は、一人あたりいくらを受け取ればいいのかという計算になっているわけです。
では、もしも配当を受け取る人が0人だったらどうなるでしょうか?
0人で買った宝くじというものがすでに意味不明ですが、111万円を0人に分配するための式は、上と同じように考えればこうなります。
$$\frac{111\text{万円}}{0\text{人}} = \frac{111}{0}\text{万円/人}$$
しかし、受取人がいないのに、どうやったら受け取らせることが出来るでしょうか。
受取人はいないけど、受け取るお金がある、というのが解決不能です。
相続権者はいるんだけど、行方不明などで所在や口座が不明のために分配できない、というのとは違う問題です。
受取人がいないんです。
そのため、分配の道具として割り算を使用するケースを考えるなら、\(0\)除算は答えを出せないことになります。
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除法(割り算)を乗法(掛け算)の逆演算として考える
引き算は足し算の逆演算だと聞いたことはないでしょうか。
$$A-B=C$$
というのは、表現を変えれば、
$$C+B=A$$
です。
「\(A\)から\(B\)を引いたらいくつになりますか?」
という問いは、それ自体が全く同時に、
「\(B\)にいくつを足したら\(C\)になりますか?」
という問いなのです。
つまり、\(A-B=X\)の\(X\)を求めることは、\(A=B+X\)の\(X\)を求めることと等しいのです。
それ故に、減法(引き算)は加法(足し算)の逆演算だと言われます。
同じように、除法(割り算)は乗法(掛け算)の逆演算とされています。
$$\frac{A}{B} = C$$
ならば、
$$A = B \times C$$
となります。
先ほどと同じ表現をすれば、\(A/B=X\)の\(X\)を求めることは、\(A=B \times X\)の\(X\)を求めることと等しいのです。
しかし、引き算の時とは違う問題があります。
それが\(0\)除算です。
上の式で\(B=0\)だったとき、
$$\frac{A}{0} = X$$
となりますが、この時の\(X\)はいくつになるでしょうか?
割り算は掛け算の逆演算であることを考えると、\(X\)は同時に
$$A = 0 \times X$$
も満たさなければなりません。
これが\(0\)以外であれば簡単です。\(12/3=4\)は\(12=3*4\)も満たします。
$$\frac{12}{3}=4 \quad \rightarrow 12=3 \times 4$$
ところが、
$$\frac{12}{0}=X$$
では、
$$12=0 \times X$$
を満たすような\(X\)は存在しません。
\(0\)に何を掛けても\(12\)にはなってくれないからです。
被除数も\(0\)のケースも考えてみましょう。
$$\frac{0}{0}=X$$
の時は、
$$0=0 \times X$$
を満たすような\(X\)は存在するでしょうか?
…しますね。
全部です。
\(0\)に何を掛けても\(0\)になりますので、\(X\)が何だろうと、\(0=0 \times X\)を満たします。
\(0\)を\(0\)で割る操作に関しては別の記事で詳しく解説していますので、すごく深いところまで知りたい方は下のリンクからどうぞ!
というわけで、\(0\)除算はまともな計算として認められず、未定義のままに置かれています。
未定義、つまり数学はそういう計算に対して答えを出さない、ということです。
0除算を認めるとこうなる
\(0\)除算を、公理的に考えてみましょう。
数学には公理があります。公理というのは、約束事、ルールブックです。
公理から様々な定理が生み出されていきます。
でも、今回は公理とは何かにはあまりこだわらず、「数学的計算をするためのしきたり」くらいに考えておいてください。
そのしきたりによれば、
$$0 \times x = 0$$
が導かれます。
「\(0\)に何を掛けても\(0\)になりますよ」ということです。
また、
$$xx^{-1} = 1$$
というしきたりも定められています。
\(x^{-1}\)とは\(\frac{1}{x}\)のことを表しています。
つまり、\(x\)に\(\frac{1}{x}\)を掛けたら\(1\)になるという意味です。
そりゃまぁ、これは\(x \times \frac{1}{x}\)のことですから、当たり前ですよね。
ここまでは、皆さんがご存じの当たり前のしきたりなのですが、この二つのしきたりをあわせると数学が崩壊するのです。
ここまででは、まだ\(0\)除算は禁止されていません。
ですから、
$$\frac{1}{0}$$
という式を書き出すことが可能です。
ならば、
$$0 \times \frac{1}{0}$$
という式も書けるはずです。
しかし、これがくせ者でして、上記二つのしきたりにこの式を当てはめるとこうなります。
①\(0\)に何を掛けても\(0\)
$$0 \times x = 0$$
②ある数にその数の逆数を掛ければ\(1\)
$$xx^{-1} = 1$$
初めのしきたり①(\(0\)に何を掛けても\(0\)になる)からは、
$$0 \times \frac{1}{0} = 0$$
ですね。
次にしきたり②(\(x\)に\(x^{-1}\)を掛ければ\(1\)になる)からは、
$$0 \times \frac{1}{0} = 1$$
は導けます。
どちらも同じ式からの導出なので、
$$0 = 0 \times \frac{1}{0} = 1$$
つまり、\(0=1\)が成り立つことになってしまいます。
というわけでして、これまでに定められたしきたりに従うと、\(0=1\)というとんでもない答えが出てきてしまいます。
世界の終わりです。
これを認めた瞬間、我々が使ってきた便利な道具としての数学は跡形もなく崩れ去ります。
これを認めてしまうと、
$$1+1 = 2 = 0+0 = 0$$
$$1+2 = 3 = 0+0 = 0$$
という次第で、あらゆる数は\(0\)と等しくなり、
$$0 = 1 = 100$$
このようにして、全ての数は全ての数と等しくなります。
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これを防ぐための\(0 \neq 1\)
こんなバカな話はありませんので、これを防ぐために、もう一つのしきたりが用意されています。
それが\(0 \neq 1\)です。
この\(\neq\)という記号は「ノットイコール」と読まれ、イコールの反対、「等しくない」という意味を表しています。
数学は、\(0 \neq 1\)というしきたりを用意することで、数学の崩壊を防いだわけです。
これによって、\(0=1\)という式は数学世界から排除されました。
もう\(0=1\)というのは、数式として認めてもらえないのです。
そして同時に、\(0=1\)を導き出してしまうような要因も、数学社会から追放されます。
そうして\(0\)除算は禁止されるのです。
より厳密な表現をするならば、「\(0\)除算した式は、数学的な式と見なされない」とか、「数学は\(0\)除算を定義していない」ということになります。
よって\(\frac{1}{0}\)という式は、数学的な回答を出せません。
それはもう数学が扱う式ではなくなっているからです。
まとめ
- \(0\)人に分配するというのは意味不明だから\(0\)で割るのはやめた方がいい
- \(A=0 \times X\)の\(X\)を満たすものは、「存在しない」か「なんでもいい」のどちらか。んなアホな。
- \(0\)除算を認めると\(0=1\)を認めることになる。
- 数学は\(0\)除算を定義していない
ディスカッション
コメント一覧
お邪魔します。
0除算についてネットで色々見て、Yahoo知恵袋で以下のページを見つけました。
なぜ虚数は定義されているのに、ゼロ除算の解は定義されていないのでしょうか?
これを見て自分は高校の数学の教科書にあった虚数の説明に
>カルダノの解法で三次方程式を解こうとすると、解いている途中で虚数が出てくる場合がある。
>複素数を更に拡張した四元数というものがあるにはあるが、通常数と言えば複素数までを指し、
>四元数は別物として扱う。それは方程式の解は全て複素数の範囲に含まれる事が
>証明されているだけではなく、四元数では乗法の交換則が成り立たないからである。
といった事が書かれていたのを思い出しました。ですから0除算については
・0除算を使わなければ解けない問題が、0除算自体を除いて(おそらく)無い。
・通常の加減乗除の中に0除算を組み込もうとすれば、「0=1」を回避するために今迄数学で
使っていたものを相当程度捨てねばならず、計算等がもの凄く不便になる。
・故に「労が極めて多く、功が全くと言っていい程無い」のでやらない。どうしてもやりたければ
「通常の加減乗除とは別物」としてやるべき。
ではないかと自分は思います。
後余談ですが少し前に話題になった「1.2+2.8=4.0は不正解(4が正解)」に関して、それを肯定する明確な理由というものを寡聞にして知りません。これが「1+1=2.0」とかなら「.0はどこから出てきたのか」「小数点以下を一つ”だけ”しか書かない理由は何か」といった事を考えられますが、「小数点以下一桁が繰り上がって0になった事を明記するために敢えて記した」と主張があった場合に、それを退ける理由は何かと。「通常小数点以下の0は、その下に0以外が無ければ書かない」のは慣例と思われますが、「慣例から外れる」のと「正解・不正解」とは違うのではないかと。
≪…0除算を認めると0=1を認めることになる。…数学は0除算を定義していない…≫を、
西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)からの『自然比矩形』に観得る『《モナド》写像(関数)』は、この6つのシェーマ(符号)と⦅自然数⦆とを≪…0除算…≫(まとめちゃん)が複合的に繋ぎ合わせる[数学概念]を呈示する。
『《モナド》写像(関数)』は、ライプニッツの理性に基づく自然と恩寵の原理の⦅モナド》を[止揚]したものに観得る。
『《モナド》写像(関数)』は、[四則演算]の記号(-+÷×=)を呈示し⦅自然数⦆を創る『自然数製造機』に生り、十進法の基での桁表示の[小数点と…(無限小数)]の導入により認知できると見よう。
平面での図形(『自然比矩形』)の言葉と数の言葉が[三(高)次元で閉じた]⦅自然数⦆を[人]は、手に入れたと観得る。
自然数は、[絵本]「もろはのつるぎ」で・・・
『創発釣り鐘体』は、自然数の[エネルギー]の[象徴](エンテレケイア)と・・・
[カオス表示)の 2.25・・・ から・・・
2月25日を「自然数の日」となるのかなぁ~
こんにちは 少し参加させて下さい
0・・・たまには考えています
結局こうではないでしょうか 0と1は次元が違うのではないでしょうか1は目の前の何かであって1は0の中に含まれるのでは
0x1=0 1/0はできない 0の大きさは無限大、宇宙そのものですから
0+1=1 無限大の中に1つ加える 0-1=ー1 宇宙の中の1つをけす
反比例グラフのx<1は定数より大きくなり0の時は∞になるから0で割ったら∞じゃないですか?
僕はまだ小学生なのですが急に思いつきました。
反比例グラフのx<1の時は定数より大きくなるので0の時は∞じゃないですか
≪…反比例グラフのx<1は定数より大きくなり0の時は∞になるから0で割ったら∞じゃないですか?…≫は、[0 1 ∞]の『HHNI眺望』ではそう観えます。
[直交座標]の[X軸][Y軸]は、[グレーゾーンなストリップ]を[線](軸)と観ると面白いです。
というのは、Y/X=1 と YX=1 を
[折り紙](ましかく)から [さんかく]に折り込んだとき、
[斜辺]は、Y=X の[正比例]の[折り込み線」で、
[辺]は、 Y=1/X の[反比例曲線]の[のりしろ](グレーゾーン化)です。
観方によれば、[直交座標」の Y=1 X=1 を[織り込む操作]で、
Y ➡ 0 X ➡ 0 への[原点化」
([0 1 ∞])とするコトでしょうか?
数学的には、[直交座標]の成り立ちのように観えます。
『離散的に眺望』すると
[Y軸]は、[ゼータ軸]
[X軸]は、[自然数軸]
と観てもよいかもしれません?
1÷0=♾=-♾
笑笑笑笑
12÷0イコール∞
0×∞イコール12
100÷0イコール∞
0×∞イコール100
12イコール100
なのでちがう。
1÷0イコール∞なら
∞×0イコール1
100÷0イコール∞
∞×0イコール100
なのでちがうと思います。
この記事は「まとめ」以外の記事はまったくいりません。要するに「まとめ」以外の記事はムダ記事です。まとめだけ読めば十分にサルでもアホでもカスでもバカでもわかります。よってこの記事は「まとめ」以外の記事はムダなのでまったくいりません。